ガンジー・セツ

全長5,750mのマハトマ・ガンジー・セツ(ガンジー・セツ、ガンガ・セツとも呼ばれる) は、インドで二番目に長い橋です。ガンジス川を渡すために建設され、パトナとハジプールを結んでいます。全長約5,750m (18,860フィート)で、インド首相だったインディラ・ガンディーが1982年に開通させました。現在、毎日85,000台以上の車両と12,000人の歩行者がこの橋を利用しているとされています。州の人々にとっての生命線で、この長い距離を数分で走破することが可能です。橋を支える高さ121mの柱が45基あり、その下には船が通れるスペースが保たれています。

ガンジー・セツ

殉教者記念碑

殉教者記念碑は、1942年のインド独立闘争で命を落とした七人の若い自由戦士のために建てられました。街の中心部、パトナ事務局(パトナ・サチワラヤ、または旧事務局としても知られる)の向かいにある、かなり近代的な建造物です。

7人の勇者の等身大彫刻が、インド国旗を掲げて銃に倒れた自由戦士たちの最期の場所を表しています。マハトマ・ガンジーの理想の信奉者として知られているアヌグラー・ナライン博士は、パトナで三色旗(インド国旗)を掲揚しようとしたところを逮捕されたと考えられています。彼が逮捕されたことを受けて、7人の学生達は自力で国旗を掲揚しようとしましたが、英国兵に銃殺されました。記念碑には自由闘士の名前が刻まれています。彼ら(ウマカント・プラサド・シンハ(ラーマン・ジ)、ラマナンド・シン、サティッシュ・プラサド・ジャー、ジャガトパティ・クマール、デビパダ・チョウドリー、ラジェンドラ・シン、ラモゴビンド・シン)は、いずれも英国軍兵士が撃った弾丸の被害者です。無差別発砲ではなく、旗を持って歩いている人に対してのみ発砲したと言われています。しかし、一人の勇敢な生徒が倒れると、別の生徒達が前に進み出て、代わりに旗を運び続けたと言われています。結局、学生七人が死亡し、約14人が負傷しました。

殉教者記念碑

サダカト・アシュラム

空港から約7km、ガンジス川ほとりに位置するサダカット・アシュラムは、ディーガ地区の主要道路の脇に静かに佇んでいます。サダカト・アシュラムは、インド初代大統領ラジェンドラ・プラサード博士が引退後の1962年から住んでいた町で、彼は晩年をこのアシュラムの静かな近郊で過ごしました。現在では、ラジェンドラ・スミリ・サングラハラーヤと呼ばれる小さな博物館があり、彼の私物やインド自由闘争で使われたいくつかの品々が展示されています。他にも、数点の絵画なども展示されています。

このアシュラムは、1921年にマハトマ・ガンジーによって建設されたもので、20エーカーの豊かな緑に広がるこの土地は、ガンジーの側近であったマウラナ・マジャルル・ハクの友人、カイラン・ミヤが寄進したと伝えられています。彼はこの土地を国民運動のために寄付し、自由闘士たちの重要な会合がしばしば開催されました。現在、敷地内にはマウラナ・マジャルル・ハク図書館もあり、豊富な蔵書とその閲覧室があります。.

サダカト・アシュラム

シュリ・クリシュナ科学センター

国立科学博物館協議会の一部であるシュリ・クリシュナ科学センターは、ビハール州唯一の地域レベルの科学センターであり、同国初の科学センターでもあります。1978年に設立され、ビハールの初代州知事にちなんで名付けられました。設立以来、格式張らない指導方法で「万人のための科学教育」を推進しています。ガンディ・マイダンの南東、静かな小道に位置しています。建物横に広がる美しい庭園は、科学の原理を示すために設計されています。入口には大型でカラフルな展示板があり、風車の試作品の回転翼や恐竜の鳴き声を模した音などが反響しています。時間を、入口にある日時計で見ることができます。本館の3つのフロアはそれぞれ、科学に関する特定のテーマに特化しています。1階のファン・サイエンス・ギャラリーでは、科学的原理を実証した数々の装置を見ることができます。たとえばエネルギー・ボールは、転がったり、車輪を回転させたり、ベルを鳴らしたり、木琴でメロディーを作ったりするボールの動力助けを借りて、ある形から別の形にエネルギーを変換する様子を示しています。その他、オルガンパイプ、曲線列車と無限列車、マジックタップ、レイジー・チューブ、錯覚球、モメンタム・マルチプライヤなどが展示されています。このフロアにはワークショップや会議場も併設されています。1階にはさらに、ミラー・コーナーや海洋生物コーナー、ベルヌーイ原理を示す浮き球や、遠心力機で発生した渦などの展示があります。講堂のあるこのフロアには、人間進化の展示もあります。3階には地球生命の始まりが展示されています。なお、昼間は2時間おきに3Dショーを開催しています。

シュリ・クリシュナ科学センター

クダ・バクシュ・オリエンタル・バブリック・ライブラリー

ゴージャスなクダ・バクシュ・オリエンタル・バブリック・ライブラリーは、ガンジス川のほとりに位置する、賑やかなアショーク・ラジパスに接する場所にあります。1891年に一般公開された国立図書館で、ムハンマド・バクシュによって始められ、彼の息子クダ・バクシュによって追加された個人コレクションです。ムハンマド・バクシュは1,400冊の原書を息子に譲り、彼はそれを情熱へと転換しました。

このコレクションに加えることができる原書を入手するため、クダ・バクシュに雇われ、アラブ諸国への旅を命じられた人物すらいました。1888年には4,000編の原書を収める二階建ての建物を完成させ、一般公開しました。今日では、研究資料を求めて世界中の学者が図書館を訪れまています。

クダ・バクシュ・オリエンタル・バブリック・ライブラリー

インディラ・ガンジー・プラネタリウム

インディラ・ガンジー・プラネタリウムは、別名タラマンダル(星の輪)、もしくはパトナ・プラネタリウムとしても知られており、インド最大級の規模を誇ります。天文学や銀河系に関する展示が充実しているほか、一日を通して天体映画の上映もされています。プラネタリウムには最先端の講堂、会議場、ワークショップ・ゾーン、展示室などがあります。映画上映用の、ドーム型プロジェクションスクリーンも備えられています。一面に広がる夜空、星、惑星を見上げる、とても魅惑的な空間です。これら、惑星や、地球、他の天体の創造と進化についての科学映画は、良質のサウンドシステムにより、より臨場感溢れるものになっています。毎日4回(12時半、午後2時、午後3時半、午後5時)上映されるこのショーは、娯楽性だけでなく教育的価値の高さで知られています。作品上映されるスカイシアターの定員は276名。インディラ・ガンディー・プラネタリウムは、インディラ・ガンディー・サイエンス・コンプレックス内にあり、定期的なセミナーや展示会も開催されるなど、この地域の魅力を発信しています。

このプラネタリウムは1989年に建設が始められ、1993年に当時ビハール州の長官であった、ラル・プラサド・ヤダフによって正式開館しました。.

インディラ・ガンジー・プラネタリウム

ケサリア

ケサリアはパトナから約114kmのところにあり、チャンパラン地区の仏教コミュニティーにある重要な仏教遺産です。ヴァイシャリから40km、ウッタルプラデシのクシナガルからは、さらに150km離れています。世界最大級の仏舎利塔があり、高さは104フィート、基底円周は1,400フィートあります。

ケサリアは、釈迦が涅槃(悟り)に到達する前の一夜を過ごした場所でもあり、重要視されています。彼の死後、ヴァイシャリへの帰還を求められたリヒヴィスが、釈迦入滅の記憶としてこの仏塔を建立したと考えられています。紀元前200年から750年の間に建てられたと推定されています。

ケサリア

マネル

パトナから約30キロのところに、古代の学問の地、マネルという小さな町があります。マネルの見どころとしては、重要な2つのモハメッドの墓所があります。1つは「バリ・ダルガ」として知られている、マフドゥーム・ヤヒアまたはシェイク・ヤヒア・マネリのもので、もう1つはシャ・ダラットまたはマフドゥム・ダラットのものとされ、「チホティ・ダルガ」と呼ばれています。当時ビハールの長であったイブラヒム・カーンは、マクフドム・ダウラットの弟子であり、1608年に師が亡くなった後、1616年にこの記念碑を建設したそうです。豪華なドームとコーランの碑文で覆われた天井。1619年に完成したこの古代モスクには、その他にもジェハンギル時代の特徴的な建築様式が見られます。壁の彫刻は非常に複雑で美しく仕上げられており、実際この廟は、東インドで最高のムガールの文化的記念碑であると考えられています。建設に使われた赤と黄色の石は、ウッタル・プラデーシュ州チュナール地方からはるばる運ばれてきたといわれています。ヤヒヤ・マネルの墓所はモスク内にあり、長さ400フィートのトンネルを通ってソネ川のかつての川床とつながっています。これらの墓所は巡礼地としてよく知られており、信者は信仰の証として「チャダー」をここに捧げます。川の水は砂糖のように甘いので、風味豊かなギー・ラドゥーを作るのに使われていたといわれています。マネルには他にも、仏教寺院とジャイナ寺院があります。

マネル

アガム・クアン

パトナで最も重要な初期の考古学遺跡の一つであるアガム・クアン(井戸)は、鉄道のグルザルバーグ駅近くにあります。その名は、「計り知れないほどの幸福」を意味し、また、マウリヤ朝アショカ王と関係があったと広く信じられています。アガム・クアンはアショカ王の監獄部屋の一部で、拷問のために使用されたと言われています。炎が井戸から出ていたそうですが、被告人たちは正にこの井戸に投げ込まれたそうです。伝説によると、アショカ王が彼の兄弟99人を井戸に投げて殺害した場所だそうです。彼の目的は、モーリヤ帝国の王座に就くことだったとされています。

別の言伝えによると、井戸の底はガンジス川につながっているそうです。ある聖人が、以前海で失われた重い丸太を井戸の中で発見したことがあり、その井戸は冥界またはパタラ(地獄)と繋がっていると考えられていました。8つのアーチ型の窓からは深い水底が見えます。皇帝アクバルの統治中には、井戸の周りに屋根付きの建物が建てられた、とのことです。この井戸に関連した興味深い話は他にもいくつか存在します。ジャイナ教の修行者スダルシャナは、チャンド王によってアガム宮殿に投げ込まれたが、ハスの上に座して浮上したという伝説があります。水深は105ftと考えられていましたが、1990年代の清掃作業で65ftと判明しました。この井戸は決して干上がることはなく、水位は1フィートから5フィートの間を上下するといわれています。

アガム・クアン

クムラー

クムラーはパトナ郊外に位置する、古代都市パタリプトラの遺跡が発見された場所です。最も目に付く遺跡は、紀元前300年頃 (モーリヤ時代) に建てられた砂岩でできた80本の柱がある堂で、3つ目の仏教評議会があったといわれています。

パタリプトラは、アジャタサトル (紀元前491~459年)、チャンドラグプタ (紀元前321~297年)、アショカ(紀元前274~237年)などの王が統治しました。紀元前600年から紀元600年にかけて栄えたこの壮大な都市は、発掘調査の結果明らかになっており、パタリプトラは約1,000年間、サイスナ、ナンダ、マウリヤ、スンガ、グプタなどの偉大なインド王朝の首都として機能していました。教育、芸術、文化、商業、宗教の最重要の地でもありました。パタリプトラについての最初の著名な記述は、紀元前300年にチャンドラグプタ・マウリヤ宮廷のギリシャ大使だったメガステネスが書いた本「インディカ」の中に見られます。メガステネスによると、この町は平行四辺形のような形をしており、東西約14キロに渡ってガンジス川に沿って広がっていました。周囲約36kmで、巨大な石垣と、広くて深い堀に守られていました。パトナでは、ロハニプル、バハドゥルプル、サンダルプル、ブランディバーグ、クムラーなどの遺跡も発掘されています。

クムラー

パドリ・キ・ハヴェリ

パドリ・キ・ハヴェリはビハール州最古の教会で、パトナの重要な見どころの1つです。聖母マリアと神父の訪問の館としても知られています。あらゆる信仰の人々が定期的に祈りを求めてこの教会に集まります。クリスマス期間中は、パドリ・キ・ハヴェリはお祭りのような雰囲気につつまれ、祈りをささげる信者が列をなします。

パドリ・キ・ハヴェリは、ローマカトリック教徒がビハールに来た1713年に建設されました。1772年に、カルカッタ (現在のコルカタ)にいたヴェネツィア人建築家ティレトが、現在の姿に再設計しました。聖マリア教会としても知られているその礎石は、長さ70フィート、幅40フィート、高さ50フィートほどあります。イギリスの貿易商ナワブ・ミル・カシム (ベンガル統治者)との戦いや、1857年のセポイの反乱など、数々の戦闘を目撃してきました。この教会の歴史で最も興味深いのは、マザー・テレサが1948年にここで看護師としての正式な訓練を受けていたことでしょう。彼女が滞在した部屋には目印が付けられており、簡易ベッドやテーブルなど、いくつかの持ち物が置かれています。「パドリ・キ・ハヴェリで修業をした後、愛のミッションを開始したマザー・テレサは、1948年この部屋に滞在していました」

パドリ・キ・ハヴェリ

ブッダ・スリティ・パーク

ブッダ・スリティ・パークは、ブッダの2,554歳の誕生日を記念してビハール州政府によって開発されました。22エーカーの広大な敷地に広がる都会のオアシスです。公園の見所は、ダライ・ラマが植えた2本の菩提樹で、仏像の脇を添えています。

ブッダ記念公園としても知られており、マハヴィル・マンディールの向かいにあるパトナジャンクションに近いフレザーロードにあります。ブッダの人生と教えを広めることを目的としたこの多目的公園には、瞑想センター、仏教本が多数蔵書された図書館、博物館、そして記念公園があります。

ブッダ・スリティ・パーク

パトナの博物館

この地域の豊かな遺産は、パトナ市内に点在する多くの博物館に見ることができます。まず、ビハール美術館は、日本のデザイン会社がインド企業と共同で建設した鋼と花崗岩の豪華な建物です。13.5エーカーの敷地に建つこの美術館は、9,500平方mの広さを誇り、オリエンテーション・ギャラリー、子供向けギャラリー、歴史ギャラリー、ビハリ・ディアスポラのギャラリーなど、さまざまなセクションから構成されています。「ビジブル・ストーレジ」ギャラリーでは、テラコッタやコインの工芸品などが展示されています。

壮大なパトナ博物館は、ビハール博物館が建設される以前には市内唯一の博物館でした。この博物館は、静かな緑の庭園内にあり、この町の歴史を振り返り、学ぶのに最適な場所です。英国時代に建てられたこの博物館には、モーリャンとグプタの石像、いくつかの美しいブロンズの仏像、トーマスとウィリアム・ダニエルズによる19世紀初期の風景画など、素晴らしいコレクションがあります。

パトナの博物館

ガンディ・マイダン

街の中心に広がる土地は62エーカーにも及び、ガンディ・マイダンはパトナの最も人気のあるランドマークと言えるでしょう。マハトマ・ガンジーが街を訪れたときに祈祷会を開いた場所でもあります。立派な木々が建物の周囲に並んでいます。今日では、にぎやかな市場エリア、オフィス、ホテルなどに囲まれ、年間を通じて展示会やフェアが開催されています。その中で最も象徴的なものの1つが、毎年2週間にわたって開催される恒例のパトナ・ブック・フェアで、その期間中は、多くの訪問者を見ることができます。ガンディ・マイダンの南には、地面の名前の由来となったマハトマ・ガンジー像が立っています。共和国記念日のパレードや独立記念日の式典がここで行われます。現在でも、大規模な政治集会がこの会場で開催されています。エキシビション・ロード、フレザー・ロード、アショク・ラージパスなどパトナ市の主要道路の始点でもあります。英国時代に「パトナ・ローン」として知られ、1824年から1833年までゴルフ場として利用され、競馬も盛んに行われていました。.

ガンディ・マイダン

ゴル・ガール

パトナの中心地ガンディーマイダン近くにある、蜂の巣状の印象的な建物です。「ゴル・ガール」とは、文字通り訳すと、円形の建物という意味ですが、驚くことにこの建物には内部から支える柱がありません。高さは29m、幅は3.6 mで、訪れる価値のある驚異的な建築物です。

1770年に飢饉がこの地域を襲ったとき、英国軍の大尉ジョン・ガースティンによって兵士のための巨大な穀倉として建設されました。何千人もの人々をこの巨大な穀倉が養っていました。かつては、13,000トン以上の穀物を収容することができたと言われています。

ゴル・ガール